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陶土で形づくられた友情 ファエンツァ市と土岐市

街のアイデンティティはその街のモニュメント、通りや、広場、その街を訪れた人の旅行記、職人の伝統工芸によって、形づくられていきます。

ファエンツァ市と土岐市の場合は共通の特産品である陶磁器によってそのアイデンティティを確立してきました。

陶芸は大変長い歴史を持つことで知られ、その起源は太古の昔までさかのぼります。様々な道具の材料となるもので、芸術的表現の一つの手段ともなります。“陶器”を意味するイタリア語の ceramica はギリシャ語の kèramos に起源を持ち、“壺づくり職人の地” を意味しています。長い歴史の中で、陶磁器の生産は世界中の大部分の地域に普及し、影響を与えてきました。もちろん、日本とイタリアも例外ではありません。

イタリア国内で、陶芸がその街の伝統工芸として公認されている街は40以上にも上り、ファエンツァもそのうちの一つとして数えられています。

エミリア通りを中心に発展してきた魅力あふれる芸術の街、ファエンツァはラヴェンナ州に属し、アペニン山脈の始まりを背景に望む美しい街です。ファエンツァの街を特徴づけるものは言うまでもなく、製陶業です。“ファエンツァ” の名前そのものからもわかるように、この街の名前から由来した “ faïence ” (ファイアンス焼き=マヨルカ焼き)という言葉は広くヨーロッパ中で使われています。ファエンツァがあるロマーニャ地方では紀元前1世紀に陶器を製造する工場が存在していたことがわかっており、ファエンツァの街がひらけたラモーネ川のほとりでは良質の粘土が産出されることで知られています。

ファエンツァの製陶業はルネサンス期に絶頂期を迎え、ファエンツァの陶工たちはイストリアート(説話画)と呼ばれる新しく、優雅な装飾スタイルを独占的に発展させていきました。その後、1800年代にファエンツァの製陶業は一時衰退し、危機をむかえますが、1900年代の初頭に再興の動きが高まり、大規模な陶磁器の展覧会が開催されるとともに、1908年にファエンツァ出身の陶芸史家ガエターノ・バッラルディーニ氏によって MIC(国際陶磁器博物館)が設立されました。この博物館では世界中から集められた様々な時代の陶器6000点が展示されています。極東アジア地域の陶磁器に特化したコーナーもあり、主要な陶磁器の生産地を代表する約400点の工芸品が展示されています。また、2000年には、MIC はユネスコより “平和文化に対する証人モニュメント” の一つとして認定されており、世界の陶芸に捧げられた貴重な博物館です。現在もファエンツァの街には60を超える陶芸店が軒を連ねており、陶工やアーティストたちがファエンツァ・ブランドの陶磁器を作り続けています。

一方、日本で最初に発見された陶器の起源は新石器時代までさかのぼり、水や食料を貯蔵するための容器でした。岐阜県にある土岐市は、日本でも有数の陶磁器の主要生産地の一つとして知られています。岐阜県南部を指す名称の “美濃” 焼きの街として、土岐周辺では、良質な粘土が産出され、古くから陶磁器の生産がさかんでした。土岐市の郊外では山の斜面に掘って作られた穴窯と呼ばれる古代の窯が多数あります。これらの窯は岐阜県内に広く普及しており、すでに古墳時代(紀元前7世紀)の末期には、この穴窯の中で、須恵器と呼ばれる陶器が焼かれていました。1300年以上前に始まった土岐市での製陶業は現在も住民の生活の一部であり、毎年5月3、4、5日には日本三大陶器祭りの一つである “美濃焼祭り” が開催されます。また、1986年から土岐市を含む美濃地方で開催されている国際美濃陶磁器フェスティバルは、世界中の製陶産業の発展と成長を推進するためのイベントです。

そして、1979年(昭和54年)の10月23日に土岐市とファエンツァ市は、陶芸文化とその歴史を共有する為、姉妹都市提携を結びました。まるで遠距離を隔てた結婚のような二都市の友好関係は、職人の卓越した技と火の力を利用して貴重な陶磁器に姿を変える陶土をその絆の印として、毎年更新され続けています。 

2018年4月16日、ファエンツァ市にてジョバンニ・マルペッツィ市長と土岐市の加藤靖也市長の間で、この姉妹都市盟約の更新が行われました。記念すべきこの式典は、“陶芸”という共通言語を介して長年に渡り育まれた友好関係の証として、陶器でできた羊皮紙に両市長が署名し、印象深い式典となりました。

両都市を隔てる地理的な距離にもかかわらず、これまで多くのプロジェクトが実施されてきました。2004年には土岐市とファエンツァ市の文化交流をテーマにした写真集が出版されたり、土岐市ではイタリア式庭園が建設されました。また、ファエンツァで開催された陶磁器のイベントには土岐市から陶芸家たちが招待されました。2019年には、姉妹都市提携40周年を記念してファエンツァ市にて日本人陶芸家の展覧会が開催され、好評を博しました。

この二都市を結ぶ友好協定は、人の手によって作られた手工芸品の文化がその土台となっています。また、この友好関係を支えるたくさんの人の手と支援者が存在していることは言うまでもありません。その中でも、両都市の交流を25年間支え続けてきた、ファエンツァ在住の陶芸家TOMO HIRAI 氏は自らもファエンツァ式ルネサンスの影響を受けた数々の秀逸な作品を発表しています。

また、イタリアサッカーリーグ・セリエAで活躍した中田英寿氏も現役を引退した後、日本の伝統工芸産業の促進に尽力しており、人の手によって作られた工芸品が人々の生活に豊かさをもたらすことを確信し、ファエンツァのMICと共同で、美濃地方で開催された国際的な陶芸コンクールの総合プロデュースに携わっています。

ファエンツァ ー 土岐
1979年10月23日

ファエンツァ
土岐

エミリア・ロマーニャ州
岐阜県

ラモーネ川
土岐川

地中海性気候
寒冷だが温和

おすすめスポット
MIC(国際陶磁器博物館)
二バッロのパリオのイベント
おすすめスポット
セラミックパーク美濃
織部の里公園

ご当地フード
エシャロット・ラグーのクルズル

ご当地フード
鬼まんじゅう

執筆  Floriana Maci 
翻訳   土田 ゆかり (Yukari Tsuchida)

Websites:
www.micfaenza.org
www.gemellaggifaenza.it
www.jappi.jp
www.tooki-minoyaki.jp
www.toki-kankou.jp
www.city.toki.lg.jp

By |6月 26th, 2020|ニュース|0 Comments

フィレンツェと岐阜 平和を紡ぐ二都市の友情ストーリー

“持続する世界平和を望むことは、人類の願いであり、我々が調印した盟約の基本原則のう

ちの一つです”
1978年2月8日に調印されたフィレンツェ市と岐阜市の間でかわされた姉妹都市盟約の最初

の条項にうたわれています。

フィレンツェ市はルネッサンス発祥の地として知られ、まるで野外の博物館のような歴史的

市街地区は、街全体が世界遺産に登録されています。一方、岐阜市は戦国時代の将軍、織田

信長の時代に、いわば日本のルネッサンスが起こった地として知られ、信長によって岐阜を

中心に日本の統一が推し進められました。

フィレンツェと岐阜には多くの共通点があります。歴史的に類似していることのほかに、市

の規模と地理的な特徴がよく類似しています。さらに、両都市ともに繊維産業の中心地で

す。

フィレンツェは中世の時代にすでに、文化、経済、行政上の中心地として重要な都市でし

た。イタリア全土において、歴史上最も豊かな都市の一つであり、1865年から1871年のイ

タリア統一戦争の期間中は首都として機能していました。一方、岐阜も、日本の歴史上、大

変象徴的な都市ということができます。戦国時代には、東西交流の要所だったことを指し、

“美濃(岐阜の旧名)を制する者は天下を制す” と言われたほどです。1600年に徳川幕府の

始まりを決めた天下分け目の合戦 “関ヶ原の合戦” の場所は岐阜県内にあります。

さらに、フィレンツェ市、岐阜市、ともに重要な二つの川のほとりに位置しています。フィ

レンツェ市のアルノ川と岐阜市の長良川です。

両都市間での文化交流、業務提携はこれまで数多く行われてきました。その中でも、フィレ

ンツェで最も有名な服飾系スクール、ポリモーダファッションモードスクールと、岐阜女子

短期大学は提携校でもあり、交流と相互研究を深めています。

また、1945年に米軍による焼夷弾の爆撃で岐阜市が焼け野原になった、岐阜空襲の犠牲者

への鎮魂と平和への祈りを込め、毎年7月9日に、フィレンツェでは主要な教会の鐘が鳴ら

され、平和の旗が掲揚される、“平和の鐘” 事業が行われています。フィレンツェには、第

二次世界大戦の終戦を記念して1944年8月11日に鳴らされたマルティネッラの鐘があります

が、この鐘は毎年7月9日に岐阜市への友情の証として5分間鳴らされ、ヴェッキオ宮殿のア

ルノルフォの塔に平和の旗が掲げられるのです。

2008年10月20日の姉妹都市盟約締結30周年記念式典はフィレンツェのヴェッキオ宮殿、

200人広間にて開催され、記念の印として、カヴォナーナ広場に桜の木が植樹されました。

このカヴォナーナ広場には2002年から、岐阜市贈呈の “鵜飼い像” が設置されています

が、もともとはこの像は1983年岐阜市から贈呈された当初は、ヴィッラマンニャ通りのド

ン・ジュリオ・ファチベー二中学校の中庭に設置されていました。この鵜飼い像は日本の彫

刻家、館野弘青氏による作品で、岐阜県で1300年間脈々と続いている、伝統漁法 “鵜飼い”

(細長い小舟に乗り、鵜を利用し魚を捕る漁法)の様子を表現している像です。

 

 

両都市間では、芸術家同氏の交流、または文化、観光面においての交流を共同で推進してい

く相互協力の意思を数回に渡り、宣言しています。学生たちの交換留学、二都市間の経済お

よび、産業界の組織同士の交流の機会を常に奨励していくことで合意してきました。

2018年10月の姉妹都市盟約締結40周年記念の際には、フィレンツェ市長直々に岐阜市長へ

と一通の手紙が送られ、二都市間の友好関係の重要性を強調し、新しい交流を推進していく

意思が表明されました。この前年の2017年には、すでにフィレンツェ市の皮革製品製造企

業数社が岐阜市を訪れ、フィレンツェの伝統工芸である革製品製造のクラフトマンシップの

真髄を岐阜にて披露し、メイド・イン・フィレンツェ製品のプロモーションも行いました。

また、同年、岐阜市歴史博物館にて開催された特別展 “レオナルド×ミケランジェロ展” 

は好評を博し、フィレンツェのヴェッキオ宮殿やミケランジェロの生家を博物館にしたカー

サ・ブオナロッティ博物館から多数の作品が海を越えて貸し出されました。

 

岐阜は日本の中でも繊維産業がさかんなことで知られており、2019年には岐阜県の繊維企

業4社と地元の商工会議所が共同で “岐阜シャツプロジェクト” を立ち上げました。この

プロジェクトの一環として、トスカーナ州(フィレンツェがある州)の歴史的なシャツメー

カーと共同で、美濃和紙を70パーセント以上含む生地で作ったシャツを企画販売しまし

た。

 

この他、芸術的な側面からも両都市間の交流はさかんです。両国のアーティストたちによる

自国の伝統文化を紹介する劇場公演はこれまで数多く行われてきました。中でもトスカーナ

州の伝統文化を再生する目的で結成された劇団 “アミ―チ・ディ・キアンティ” はフィレ

ンツェの伝統民謡を日本語で歌うという試みの公演を岐阜市で開催しました。

 

日伊両国の伝統文化をお互いに理解し、尊重し合い、未来に向けて相互交流し続けていこう

という強い願いの証が、両都市の友好の歴史の中には、数多く見られ、今後もその努力は続

けられていくでしょう。

 

フィレンツェ ー 岐阜
1978年2月8日

フィレンツェ
岐阜

トスカーナ州
岐阜県

ルネッサンス発祥の地
鵜飼いの街

地中海性気候
温暖な気候

      おススメスポット:
歴史的市街地区
ウッフィッツィ美術館
ベッキオ橋
花のサンタ・マリアデルフィオーレ大聖堂

    おススメスポット:
岐阜城
正法寺の岐阜大仏

    ご当地フード:
パッパアルポモドーロ

  ご当地フード:
鮎菓子

執筆  Floriana Maci 
翻訳   土田 ゆかり (Yukari Tsuchida)

Websites:
www.kankou-gifu.jp
www.city.gifu.lg.jp
www.ccn.aitaine.jp
www.toscanapromozione.it
www.gliamicidichianti.it

 

By |6月 24th, 2020|ニュース|0 Comments

サンレモと熱海 自然によって結ばれた姉妹都市盟約

サンレモ市の日本庭園の美しさと熱海が誇る美しい熱海桜の景観は目には見えない糸で結ば

れています。

“花、音楽、歌” と聞いて真っ先に思い浮かぶ街の名前は?という質問に、皆さんはどの街

を思い浮かべますか?日本にはその答えに相当する街があります。イタリアでは“美しい花

と歌の街” と言えば、リグーリア州、花のリヴィエラ海岸の街、サンレモがあります。サ

ンレモは温暖な気候に恵まれ、花と音楽への深い情熱を誇る街です。また、バラ、カーネー

ション、観葉植物の見事な栽培が有名で、最高品質を誇る洗練された花づくりや緑の栽培に

は定評があり、この地域の最も重要な産業の一つとなっています。

サンレモにて年一回開催される、イタリア歌謡曲のフェスティバル、“サンレモ音楽祭”は

2020年で70周年を迎え、イタリア国内でも大変有名なメディア・イベントです。その知名

度はもはやイタリアだけにとどまらず、ヨーロッパ中、地中海全域でその名を知られるよう

になりました。サンレモ音楽祭グランプリ受賞者に贈られるライオン像は、イタリア・ポッ

プミュージック界における最も名誉ある賞であり、1958年にグランプリを受賞した、ドメ

ニコ・モドゥンニョがジョニー・ドレッリとペアで歌った “Nel Blu dipinto di Blu” (“ヴォ

ラーレ” としてのほうが有名)は、いまだに絶大な人気を誇り、イタリア人だけでなく世

界中の人に愛されている名曲です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、サンレモから10,000㎞離れた日本の熱海市は、伊豆半島の東側の付け根に位置し、相

模湾に面しています。東京からは南西に100㎞ほどの距離にあり、美しい海岸線と温泉で有

名な街です。“熱海” の名前は文字通り、“熱い海” を意味し、海から熱い湯が湧き出して

いたことから、古くから湯治の地として有名で、何世紀にもわたって “将軍御用達の湯”と

して将軍家に愛用されてきました。また、療養地として皇室の御用邸が建てられていたこと

もあるほどです。徳川幕府初代将軍、徳川家康は、熱海をこよなく愛し、これによって熱海

は日本の名湯治場としてその名を知られるようになりました。その後、昭和に入り、名だた

る日本文学界の文豪たちに愛された熱海は、川端康成、尾崎紅葉らの小説の舞台にもなりま

した。また、谷崎潤一郎はこの街で晩年を過ごし、三島由紀夫が足しげく通った喫茶店など

もいまだに現役です。

熱海市の市章は太平洋の色のブルーの背景が印象的で、市の花 “梅” の中に太平洋の波を

デザインし、その波の内側に熱海温泉を表したものです。また、熱海の顔ともいえる “熱

海サンビーチ” は青い海と白い砂浜、立ち並ぶホテル群、ヤシの並木通り、など外国の高

級リゾートを彷彿とさせるビーチで、サンレモのビーチとよく似ています。熱海は太平洋側

に面する港を持つため、漁業も主たる産業のひとつですが、漁業と並び、生花の栽培でも有

名な点はサンレモと同じです。熱海とサンレモ、この二つの街は遠く離れていますが、経済

面、文化面、地理的な観点から見て多くの類似点を持っています。

温暖な気候、優美な海岸線、花の栽培、そして音楽。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1975年、当時の熱海観光局次長がサンレモ市を訪問した際、両市がとても良く似ているこ

とに驚いたそうです。確かに、一見すると熱海の景観と花のリヴィエラ海岸のパノラマには

多くの類似した特徴が見られます。1976年11月、二都市の代表者の間で、姉妹都市盟約が

批准されました。この年を皮切りに両都市間で文化的交流が始まり、半ば当然のように始

まったこの友好関係は年を重ねるごとにその絆を深めてきました。

二つの都市は海とは切っても切れない関係を持ち、熱海市は太平洋に面し、一方、サンレモ

市はリグーリア海に面しています。

“海と花” にちなんだこの二つの街の深い友情関係の証として、熱海市にはサンレモ公園が

造園されました。この公園は南国の雰囲気漂うイタリア式庭園で、公園の西側の海沿いには

埠頭があり、そこから “サンレモ” と名付けられた遊覧船が運行しています。この小さな

遊覧船はまさに、サンレモ市への友情の証として存在し、船首にはサンレモ市の紋章も掲げ

られています。船付き場の近くにはイタリアの雰囲気を満喫できる “サンレモカフェ” も

あります。遊覧船内には海中展望室があり、乗船した途端、30分間の相模湾海中探検の旅

を楽しめます。海上からながめる熱海は、イタリアの姉妹都市であるサンレモ市の景観によ

く似ていることが更によくわかります。 

一方、サンレモ市にも二都市の友情の証が存在しています。かつて、あるスイス人実業家が

所有し、その後サンレモ市によって引き継がれたヴィッラ・オルモンド公園内では日本式庭

園を鑑賞することができ、この庭園は熱海市との友好関係に捧げられ造園されたものです。

濃い緑色の芝生のじゅうたんがしきつめられた枯山水式の日本庭園の中には、想像力を掻き

立てる岩や石があちこちに配置されており、イタリア原産ではない珍しい植物等も植えら

れ、典型的な東洋の雰囲気を創り出している庭園です。庭園内にある禅の哲学にインスピ

レーションを得て作られたコーナーは特に印象的です。

生花栽培に対する両都市の情熱に加えて、どちらの都市にも共通するのが音楽祭の存在で、

どちらの音楽祭も互いに長い歴史を誇ります。1977年にはイタリア・ポップミュージック

の祭典、サンレモ音楽祭にて、日本伝統芸能の和太鼓の演奏が催されたり、1982年には歌

手の田原俊彦さんがスペシャルゲストとして招待され、日本でも大ヒットした “君に薔薇

薔薇という感じ”(イタリア名・薔薇を君に)を披露しました。当時、熱海にて開催されて

いた “熱海サンレモ音楽祭” でも同様にイタリアからミュージシャンが参加して演奏を披

露しました。2016年には、姉妹都市盟約締結40周年を記念し、サンレモ市のベッレヴュー

エ宮殿にて記念式典が行われ、オペラコンサート等が催されました。この式典で、両都市の

友好関係が改めて再確認され、未来に向けて文化的および商業的な関係を今後も維持し続

け、より良いものにしていくことが両都市間にて承認されました。また、二都市間において

若者の交流を促進していくことを約束し、日伊両国間にとっても実りある将来をもたらせる

よう努力を重ねていくことが決議されました。

サンレモ-熱海
1976年11月10日

サンレモ

熱海

リグーリア州

静岡県

温暖な気候

温暖な気候

音楽と花の街

温泉と花の街

おススメスポット:
ヴィッラ・オルモンド
コルソ・マッテオッティ
コルソ・インペラトリーチェ

おススメスポット:
熱海城
温泉

ご当地フード:
サルデナイラ

ご当地フード:
海の

執筆  Floriana Maci 
翻訳   土田 ゆかり (Yukari Tsuchida)

Websites:
www.visitsanremo.it
www.comunedisanremo.it
www.city.atami.lg.jp
www.ataminews.gr.jp
www.s-m-atami.co.jp

By |6月 9th, 2020|ニュース|0 Comments

コモと十日町 絹糸が紡いだ姉妹都市盟約

願い事が叶う時は、数分間しか叶わないものもあれば永遠に叶ってしまう時もあります。実 現しそうな願い事、反面、まったく実現しそうのない願い事だって存在します。イタリアの 作家、エルリ・デ・ルーカの有名な言葉が語るように、“子供たちの願い事は未来を形づく る”は、我々も知るところです。エルリが言った言葉の様に、ある一人の少女の願い事が発 端となり、姉妹都市協定締結の実現につながったという例があります。

1975年2月8日、当時9歳だったコモ市の少女ラウラ・クレリーチが日本の新潟県十日町市の 市長に一通の手紙を書きました。その当時すでに、十日町市とコモ市の間では商業上の取り 引きが数件成立していました。

「わたしは十日町市に行ってみたいと心から願っています。これまで本で読んできた日本の 素晴らしい物事を自分の目で見てみたいです。それから、私と同い年の日本の女の子たちと 出会い、日本の女の子たちがどんなことをして遊ぶのか、どんな風に暮らしているのかをこ の目で見てみたいのです」

十日町は1954年に発足し、市の紋章には、この街が誇る美しい自然環境と調和しながら発 展する都市の願いが込められています。

十日町市は冬の時季の豪雪と美味しいコメ作りが全国的に有名で、毎年2月には十日町雪ま つりが開催されます。全国屈指の豪雪地帯であるこの地域は織物業にとって理想的な環境を 提供し、卓越した絹織物業の伝統と、養蚕業は十日町の地場産業として地域経済の中核を成 す存在となりました。そして毎年5月3日には春の一大イベントとして “十日町きものまつ り” が開催されています。

そもそもアジアで発祥した、貴重で優美な絹織物は、西暦1000年頃アラブ人の手により、 まず最初にシチリア島にもたらされたことがわかっています。その後イタリアの他の地域に 広まったと言われており、当時ミラノを統治していたミラノ公ルドヴィコ・イル・モーロの 甥にあたるガレアッツァ・マリア・スフォルツァは絹織物産業を推奨し、領内の地主達に蚕 の餌となる桑の木を5本ずつ領地内に植えるよう命じました。こうして養蚕業、絹織物業が さかんになった北イタリアロンバルディア州北西部の街コモでは、1500年代から1800年代 半ばまでで、ラリオ産(コモ湖の別名をラリオと言う)絹織物業に従事する人の数が45000 人を数えるほどまでに発展しました。コモで有名なのは絹織物産業だけではありません。イ タリア文学の代表作、マンツォーニが著した「いいなずけ」の舞台としても知られていま す。また、乾電池の発明者として有名になり、化学者、物理学者としても活躍したヴォルタ はメタンガスやライターをも、この地コモで発明しました。

絹織物に捧ぐ愛と情熱を仲介にして、日本とイタリアの距離は急速に近づき、コモ市と十日 町市は1975年2月27日、1年間の準備期間、両都市の使節団の訪問を経てめでたく姉妹都市 盟約を批准しました。当時の二人の市長、アントニオ・スパッリーノ氏と春日由三(かすが よしかず)氏がコモ市のツェルネッツィ宮殿の評議会室にて調印しました。式典はこの姉妹 都市盟約締結の発端となった、コモの少女ラウラの手紙を読み上げ、開幕となりました。そ の後長年にわたり、多くの代表団が両都市への訪問を重ね、経済、商業、文化、教育、芸 術、スポーツなどあらゆる方面において親交を深め、2都市の絆は更に強化されていきまし た。

1989年には、コモ市長レンツォ・ピン二氏がコモ市の文化交流団体 “ファミリア・コマス カ協会” に、十日町市との友好親善活動の推進と活性化に関する業務を委託しました。 1955年には、コモ市は姉妹都市締結20周年を記念し、“ルチア”(マンツォーニのいいなず けに出てくる女主人公の名前)と名前の付いた小さな木造船(コモ湖の名物として知られ る)を十日町に寄贈しました。“ルチア”は十日町駅前に設置され、十日町市民に見守られ続 けています。2000年にはその返礼として、十日町からコモ湖畔のソマイーニ広場に、日本 人彫刻家藤巻秀正氏による“友愛”の記念像が寄贈されました。

この像はコモの少女、ラウラとペンパルで友情を育んだ、十日町の少女、木内聡子さんの二 人の少女がモデルになっています。二人が着物の布で戯れて遊んでいる様子を描いており、 姉妹都市盟約締結の発端となり、育まれ続けた小さくも絆の強い友情を象徴しているもので す。また、コモ市のサン・ジョバンニ駅に通じる階段のふもとに “十日町通り” が存在し ていることは多くの人が知りません。

2004年からはコモ市自治体は、前述したファミリア・コマスカ教会と共に、国際文化交流 の一環として学生を両都市に送る交換留学事業の推進を開始、日本文化に興味を持つ学生を 対象とし、両都市間の友好関係から生まれる絆を深めることを目的としています。さらに、 同年、十日町にて開催された第10回石彫シンポジウムの際に、コモ出身の二人のアーティ ストであるブルーノ・ルッツァ―二氏とマッシモ・クレリーチ氏が招待され、二つの作品を 製作しました。ブルーノ氏の作品は “絹に結ばれた姉妹都市” というタイトルで、十日町 […]

By |6月 3rd, 2020|ニュース|0 Comments